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徳川家康がしたことは何?3つの重要なことを紹介!

徳川家康、江戸幕府をひらき、大きな時代を作った人ですが、徳川家康がどんなことをした人かご存知ですか?

今川・織田・豊臣を経て、天下をとった徳川家康。

歴史に大きな影響を残した人物であるため、大河ドラマでも数多く出演しています。

大河ドラマでは2023年の「どうする家康」までに61作品中25作品で描かれて登場しているんだよ

この記事では徳川家康がどんなことをした人物なのか、重要なものが3つあります。

徳川家康した重要なこと3つ
  1. 貨幣制度の導入
  2. 外交政策
  3. 法律・武家諸法度の制定

この記事では徳川家康のしたこと3つについて紹介、説明していきます。

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徳川家康がしたこと① 貨幣制度の導入

徳川家康がしたことの大きなもののひとつが、貨幣制度の導入です。

戦国時代まで、全国共通の貨幣はありませんでした

ありませんでしたといっても、貨幣そのものがなかったわけではありません。

これまでは中国の貨幣を使った取引が主で、国産の貨幣が主な取引に使われていなかったということです。

これまでの日本でも、七世紀後半には富本銭が鋳造されたりはしていました。

しかし全国共通の国産流通貨幣というものがなかったのです。

徳川家康は江戸幕府をつくるとともに、現在でいうところの日銀と同様の役割をもつ、金座・銀座をつくりました。

サブさん

なぜ貨幣制度が重要なの?

ジャパカル

貨幣を統一することで通貨を管理できたんだよ。
統一して作ることで偽物は出回らないし、安心した取引にも繋がるよね。
それを幕府が管理する体制を作ったことが、重要な役割をしたんだよ。

金座・銀座とは

金座とはざっくり言うと金貨を作るところで、同様に、銀座というのも銀貨を作る場所でした。

金吹所と呼ばれる工場役目の場所、金局と呼ばれる事務所、そして世襲の御金改役である後藤庄三郎光次の役宅。

これら全てを称して金座といていたのです。

ただし、大判の金貨に関しては、別に「大判座」という場所があり、大判金貨はそこで作られていました。

そのため、金座で作られていた貨幣は小判であり、小判座という呼ばれ方もしていたのです。

ちなみに御金改役であった後藤家の跡地にあるのが、日本銀行の本店になります。

徳川家康のしたこと②外交政策

江戸時代と言えば、小学校の教科書から出てくるように、日本は鎖国場外にありました。

しかし、鎖国といっても全くどこの国とも外交をしていなかったわけではありません。

教科書で教わるように、オランダやイギリスなど、海外との交易はありました。

徳川家康のすごいところは、ただ、交易をしようと言うのではなく、外国人をを外交顧問に登用したことです。

例えばオランダのヤン・ヨーステン(耶揚子)や、イギリスのウィリアム・アダムズ(三浦按針)などがあたります。

現在も彼らのなごりとして、ヤン・ヨーステンは八重洲という地名の由来になっていたり、ウィリアム・アダムズは横須賀や伊東に銅像や祭り、墓所があります。

サブさん

今も地名として残っていたり、お祭りがあったり、それだけ影響を残したんだね。

徳川家康のしたこと②−1 糸割符制度の導入

江戸時代以前の日本は、中国から生糸を買っていました。

しかし、ポルトガルが中国で生糸を仕入れ、日本に運び、暴利で売り捌き、巨大な利益をえていました。

これを防ぐべくできた制度が糸割符制度です。

これは糸割符仲間と呼ばれる商人の集まりをつくり、生糸の仕入れ値を決定しました。

購入することができるのは糸割符仲間のみであり、その価格でしか購入しない、そうすることで、ポルトガル人もその値段で売るしかなくなり、ポルトガル人の独占的利益状態でなくなりました。

最初は京都・堺・長崎の3つの都市のみでできた糸割符仲間でしたが、のちに江戸と大阪が加わり「五ヶ所商人」と呼ばれました。

この制度は一時期無くなるのですが、また復活し、日本での生糸の生産が増えるのつれて、次第に制度の必要はなくなってきました。

徳川家康のしたこと②−2 朱印船貿易

徳川家康の行った外交政策のひとつとして、朱印船貿易があります。

朱印船貿易自体は豊臣秀吉がはじめたものですが、その後大きく展開していったのは徳川家康でした。

朱印船貿易は朱印状という、いわゆる許可証をを発行し、大名や商人に売っていました。

そしてこの朱印状を持つ船のみが海外渡航し貿易をすることができたため、それらの船を朱印船といわれ、この貿易制度を朱印船貿易と呼びました。

徳川家康のしたこと③法律・武家諸法度の制定

徳川家康は征夷大将軍になったのち、わずか2年でその座を退き、息子の秀忠に譲っています。

だからと言って何もしていなかったわけではなく、実権を握っているのは家康でした。

その中でしたことのひとつに武家諸法度の制定があります。

実際に公布したのは当時の将軍秀忠でしたが、考えてたのは家康でした。

以降、歴代の将軍が時代に合わせて内容を改訂しています。

武家諸法度の内容

武家諸法度はその名前の通り、大名に向けての制度です。

その内容は13箇条で制定されていました。

内容の一部としては

  • 新しい城づくりを禁ずる
  • 幕府の許可なしに大名同士の結婚をしてはならない
  • キリスト教は厳禁

などといった内容です。

それらは、反乱を起こさせないための制度でもあり、結果として江戸時代を長く続かせた大きな要因となっています。

新しい城を作らせないことも、大名同士の政略結婚を禁止させたのも、新しい大きな力を作らせないことにつながります。

そして、キリスト教を禁止することで、新しい思想や幕府の方針と異なる考えをもたれないようにしました。

このように制度を13箇条まとめたものが、武家諸法度です。

徳川家康のしたこと・まとめ

徳川家康のしたこと
  1. 貨幣制度の導入
  2. 外交政策
  3. 法律・武家諸法度の制定

日本の歴史に大きな存在となった徳川家康。

江戸幕府を開いたのみでなく、今に繋がるいろんなことをしていたのがわかりますね。

幕府の存在を大きく強いものにし、役260年もの間続いた江戸の世を築く基盤になるものをつくったのでした。

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